新潟市新津美術館×新潟市文化・スポーツコミッション共同アフターWEB企画 「富野監督へ10の質問」

新潟市新津美術館×新潟市文化・スポーツコミッション共同アフターWEB企画

「富野監督へ10の質問」

新潟市新津美術館で開催されておりました「富野由悠季の世界」に、多くのお客様にお越しいただきありがとうございました。

9月5日に予定されていましたトークショーは、残念ながら中止となりましたが、トークショーにご参加予定の方からお寄せ頂いておりました、富野監督への質問につきまして、この度富野監督より、1つ1つ丁寧にご回答を頂く事が出来ました。

その内容を、「富野由悠季の世界」アフター企画としまして、皆様に公開させて頂きます。

 こんにちは、いつも楽しく学びの多い作品を作って頂きありがとうございます。今回お聞きしたいのは富野監督の仕事の向き合い方についてです。
 私は自営業を営んでおりまして、今年で24年目になるのですが。「常に新しいものを」と考えて仕事をしているのですが、時に惰性で仕事をしてしまいそうになる自分がいます。富野監督は常に新しいものを産み出し続けておよそ50年、監督業をされている姿を見て本当に尊敬しております。
 そこで質問です。常に新しいものを生み出すためのコツと言うかヒントを教えて頂けませんでしょうか?「こんな方法で学びを得ている」等の具体例をご教授下さいますようお願い致します。
それでは、体調に気をつけてこれからも素晴らしい作品を見させて下さい。Gのレコンギスタ4を楽しみにしております。


 難しい質問です。毎日、意識して新しいものを探している、とは言えるのですが、そんなことはできるわけがありません。その意識は大切だ、としかいえません。その意識を持って、新聞を読む、だけです。新聞は自分が好きなものだけではなく、いろいろなものが記載されていますから、それらの全体に目を通す必要はあると思っています。しかし、ぼくにはそれはできませんので、目についたものは読むという努力だけは続けています。
 しかし、それが役に立ったというケースはあまりないともいえます。ではどのように着想を得るか、といえば、上記のように考え続けて、なんとなくでも新聞を見続けていれば、新しいアイデアが必要になったときに、ひねり出せることができるかもしれない、という部分に賭けているだけなのです。そのひねり出せる方法は?という部分については、考え続けるしかないということです。
 ただ、他の人のいっていることだけを気に入ってしゃべったり、その考えを真似しようとすると、真似するだけになりますから、汚染されてしまうのでダメです。だからといって、他人の言っていることを無視するのもいけません。智恵がある人はいっぱいいるのですから、智恵はいただかなければなりません。そのための学びは絶対に必要です。新聞を読め、というのは学びの一環なのです。
 この解答は解答になっていないのは承知していますが、新しいものを生み出すというのは、このような試行錯誤の連続でしかない、ということを覚悟していただくしかない、ということなのです。しかし、仕事の上で必要なものはないか、とか、改善する必要はある事があるのではないか、と考え続けることをしていけば、道は開かれるのではないかという事はできます。
 やはりそこには、継続は力なりという格言が当てはまりますので、死ぬまで続けるしかないのです。

 こんにちは、幼稚園児のころライディーンを見てからのファンです。富野監督のアニメーションは当然好きなのですが、同じぐらい小説も好きで読まさせて頂いてます。この度、閃光のハサウェイがアニメ化されるにあたり読み返しています。
 そこで質問です。最近インタビューで「土 地球最後のナゾ」を富野監督がおすすめされていたので読んでみましたら、これが大変面白いのです。そこで富野監督の愛読書に大変興味が湧き、おすすめの本を教えて頂きたいと思いました。最近読んだものでも、以前読まれた物でも結構です。よろしくお願い申し上げます。

 「土 地球財のナゾ」を読んでいただけて大変、嬉しい。ですが、最近読んで、ハマッタのは、小説です。それは、ぼくにとってまったく苦手で読めない小説だったのですが、なぜか読まなければならないと思い込んで、二度目を読んでみて、ようやく半分ぐらいは理解できたかもしれないという短編小説です。ですから、読んでくださいとお勧めできません。
 しかし、ぼくにすれば、まったく不得手の部分で、つまり、精神的な考え方の深さとか、感じ方といったものは、このように感じて、このように理解するのですよ、と、その深さを補完する現実の重さというものを文字にすると、こういう小説になるのです、と教えられた小説なのです。ですから、「土……」のようなものを面白いと感じていらっしゃる方には、お勧めできません。ですが、ウソを書きたくないので、タイトルを紹介しておきます。
第165回芥川賞受賞で、第64回群像新人文学賞受賞のデビュー作である石沢麻依著の『貝に続く場所にて』です。
とても難しい小説ですので、読まなくていいんですよ。一度目に読んだときには、まったく訳が分からなかった小説だったのです。

監督が最近観た映画でおすすめの作品は何ですか? 

 最近作の映画を見ていないので古い映画です。最近ケーブルテレビで見直して、やはり凄いなァと感じたのが、1987年の『バベットの晩餐会』で、映画的に鮮やかです。知っておいて欲しい映画です。
 2019年の韓国映画の『パラサイト』は大変面白く良くできています。これは去年見て、忘れられない映画になっています。2018年の『彼らは生きていた』はドキュメンタリーなのですが、CG加工によって古いニュース映画がリニューアルされて再編集されて、驚異的な記録映画になっています。第一次世界大戦の時のヨーロッパ戦線の兵士の姿が分かるのです。2020年の『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』はかなり好きですよ。ごめんなさいね。昔のもので……。

無粋でふざけていると思われるかもしれませんが監督が一番好きなモビルスーツを教えて下さい。 

 初代のRXガンダムですが、ナンバーは76か?そういうのはよく知りません。理由があります。初代という形式の持つ意味というのは基本が優れているので、継承されるデザインの力を感じるから好きです。

 

 私は高校の頃、盆小遣いとお年玉を貯めて買ったガンダムZZのVHSビデオ全巻をある同級生に借りパクされたことがあります。彼は又貸しを繰り返し数本は紛失していました。ある分だけでも返せと詰め寄り、彼の親にも諭して貰っても結局彼は返しませんでした。その後卒業し疎遠になりましたが、20年経った今でもZZガンダムを見るとふと彼を思い出して怒りが込み上げる事があります。
 さて監督、私は今後もこの気持ちを持ち続けていいのでしょうか。それとも「他の人に作品を広められて良かった!」と許して忘れた方がいいのでしょうか?

 解答はできません。他人の揉め事に首を突っ込んで和解の道を探り出すことは、小生にはできかねる大仕事ですから……。ただ、相手の所業を許してやるのも許さないのも貴兄の問題でしかなくて、相手には関係がないことなのだ、ということを想像してみてくだい。
 相手の人格にかかわることであって、貴兄には関係のないことなのですから、貴兄が忘れることのほうが大切なことではないでしょうか?覚えていて気持ちがいいことではないことを覚えていると、自分が劣化していく、と感じませんか?それはとても損なことなので、ぼくは忘れる努力をします。

 

 富野由悠季監督に直接お会いできる千載一遇の機会でしたが、とても残念でした。またの機会があればと思っています。
 劇場版「Gのレコンギスタ」は展開が激しくドキドキして面白かったです。主人公の行動が判りやすく、立ち振る舞いから確かに青少年向けに作っているアニメですね。ですが、とても判り難いアニメ。監督の著書を読んでから映画を鑑賞がいいと思います。物語の中心となるシステムと人々の群像劇を堪能できました。アニメ群像劇は自分はサンライズで作られた無限のリヴァイアスが好きです。
 そこで質問なんですがザンボット3の小説版の事です。ザンボット3は富野由悠季監督が勝負をかけた一作と思いますが、小説版のほうは未発表になっています。どうしてか?という理由とこれからも出版する予定はないかお答えいただければと思います。

 創作をするという行動は、本人が思っているだけでは、できないものなのです。時代にあって、その時代の流れに合っているものなのか、場違いなのか、という整合性というものがあります。
『ザンボット3』という作品は、記憶から考えれば、小説の形体があっていいように思い出されますが、それは記憶としての価値論から引き出されたものです。小説版はありませんし、ちょっと残念なのですが、今後もありえません。現在は、あのときよりずっと進化しているのですから……!

 

 若者を中心に、結婚に前向きでなかったり、子供を産むことへの躊躇、反出生主義のような気分が広がってきているように思います。富野監督の作品では常に親子が描写され、特にブレンパワードでは「世代を重ねる意味」をテーマにされていました。監督はこの問題についてどうお考えでしょうか。

 『生物がなぜ死ぬのか』という本があります。それには死ぬことによって、次の世代が生き続けられるという繰り返しが、“種”を存続させていると解説してくれています。ひとつの固体が生き続けていくと個体の劣化が起こるので、“種”は存続しなくなるというのです。ですから、現代の風潮は“種”にとっては不幸なのですが、今だけの現象でしょう。また増えますよ。我々はDNAに支配されているのですから……。

 

 富野監督の作品に登場する固有名詞は非常に印象的なものが多いように思いますが、名前の持つ力についてどう思われますか。また、ネーミングの着想はどこから得られるのでしょうか。

 名前がその固体を支配する、名前は伊達ではなない、と思っています。ですから、名前をつける作業は大変で、ストーリー構成をする比重の半分ぐらいは名前を決めることに使っています。
 そのために、世界中の名前を小説や歴史書から引き出してきて、企画している物語にあったものを探し出す作業をつづけています。なんとなく決められるのは、当初の一部だけです。

 

 キングゲイナーやGレコなど近年の作品で「フォトン」エネルギーが共通の設定として登場しますが、未来のエネルギーとしての可能性を見出されているということでしょうか?監督のご意見をお聞きしたいです。

 現実的な回答でいえば、水素ガスを利用することが日常的になれば、人類は、あと数百年は存続できるでしょう。
しかし、真に環境問題までを考えた理想のエネルギーは、フォトン・エネルギーしかないと思っています。しかし、それだって太陽が消滅するまでの間のエネルギー源であって、それ以後は、ありません。無からエネルギーは得られないからです。では、どうするか……虚無のなかでも生存できる“命”を発明するしかないでしょう。それを“命”というかどうかは、分かりませんが……。

 

Gのレコンギスタに登場したセリフの「なんじゃとて?」とは何ですか。

 「なんじゃとて?」の言葉の通りです。我々は、すべてのことを分かっているのでしょうか?
現在の今の直後、何が起こるのか、知っていて行動しているのでしょうか? 暮らしているのでしょうか?
そうではないでしょう?ですから、なにかがあったり、なにかと直面したりした時には、「え!?」となるでしょう?
その「え?」をセリフにすると「なんじゃとて!?」になるのです。

【2021年10月30日採録】

※富野監督及びご質問をお寄せ頂いた皆様から、この度の公開につきましてご快諾頂きました。感謝申し上げます。


撮影:鈴木心
Ⓒオフィス アイ

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